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民主主義・人権の発展には固有性がある

−イラク民衆の声に耳を傾ける−

在日コリアン人権協会ニュース liber〜リベール〜『在日コリアンの主張』
第94号(2004年4月25日発行)より転載
在日コリアン人権協会 副会長 徐 正禹

 イラク情勢は危機的段階に入ったように思える。それは主として米国を中心とした占領軍にとってであり、次いで戦争状態で生命を危険にさらされているイラクの民衆にとってである。この状況を産み出した第一の責任は米国であり、追随する日本を始めとする同盟国である。イラク攻撃の大義は大量破壊兵器とテロから自国及び世界を守ること、次いでフセインの圧制を打倒し、イラクに民主主義と人権をもたらすことにあった。

 しかし大量破壊兵器は見つからず、民主主義的国家の樹立のメドはいまだ定かではない。それは、戦争の真の目的が石油という利権であり、それを隠蔽するために大義が捏造されたにすぎないからである。しかし、民主主義と人権という大義はいかにも魅力的であり、捏造を消し去る程の魔力がある。この魔力が常に小国やマイノリティを苦しめてきた歴史を忘れてはならない。

 1960〜70年代、韓国の朴政権への海外の批判に対して「韓国的民主主義」という言葉が対置された。しかし海外の批判勢力には居直りとしか映らなかった。今日韓国においては朴正煕の再評価が行われ、あの時代にあっては朴政権の政争はやむを得なかったとする見方が強まっている。長い植民地時代を経て間もなく朝鮮戦争を経験し、疲弊しきった韓国経済の出立には強権的政治も必要悪であったという考えである。この判断は極めて悩ましい。しかしただ一つ言えることは、韓国には韓国の民主主義の発展の過程があり、異なる歴史・経済・文化の下には異なるプロセスがあるのは当然のことである。その意味では「韓国的民主主義」という言葉は尊重されるべきである。

 ひるがえって日本国内の人権についても、それぞれの被差別の集団には、個別の歴史があり、発展のプロセスがある。一つのものさしで他の人権状況を判断することは、その固有性を無視することになる。在日コリアンの人権運動は、他の日本人の人権運動に較べてより一層困難な状況のなかで苦闘してきた。その違いを理解しないことが新たな人権抑圧につながり、ひいてはイラクに対する米国の「大義」=民主主義と人権という魔力に犯されることになる。肝心なことは、人権が誰のためなのか、誰によって確立されるのかという点である。イラクにも韓国にも在日にも人権を願う幾多の民衆が存在する。その人々が制約された状況下の中で地道に、時には荒々しく闘う姿を側面支援するのみで、介入は許されないのである。